今回はほとんどの人が信じないだろうと思われる、“眉唾”に受け取られる話題です。

 過去に経験した肉体的な大ケガやそれに基づく精神的な恐れやトラウマ、それらを克服することはなかなか困難のようです。鬱、ストレス、それらから抜け出せない人もかなりいると思います。このブログで「首肩から力が抜けない」というの話題を幾度か取り上げましたが、実際、首肩から力が抜けない状態を克服することもなかなか大変です。
 私の母はリウマチを患い膝関節が変形してしまったため、常に膝が締めつけられているように感じていますし、長く歩くと膝が痛くなります。しかし、時々からだに何の痛みや違和感を感じなくなる時があります。すると「なぜか意識がからだをチェックしだし、何処かに悪いところはないかと探し始めてしまう」と言います。「何かに夢中になり、意識がそちらにとられていると痛みのことなど一切忘れてしまうのに‥‥」というのは誰もが実際に体験していることではないでしょうか。
 何度も何度も”ぎっくり腰”を繰り返し、常に腰に不安を抱えている人は、実際には筋肉の状態が良くなって腰を使うことができるのに、なるべく腰部を使わないようにガッチリ腰を固めて動作しようとする傾向があります。すると腰や背中はピンと張った状態になりますので、捻ったり曲げたりすることができないばかりか、ちょっとしたことでまたピリッ、グキッとなってしまいます。心理の深い部分に「もう腰をケガしたくないので腰をガチッと固めておきたい」というのがあるのは理解できます。しかし、これでは自分で自分自身に制限をかけているのと同じこと、つまり自分で症状の改善をストップしているのと同じことですので、そこから先には一歩も進めなくなってしまいます。いつもいつも同じことの繰り返しで、少し状態が良くなったとしても、またちょっとしたことで腰部が傷つき、腰痛状態に戻ってしまいます。

不安、恐れ‥‥負の思考回路
 「マイナス思考」「ネガティブ」という言葉はよく耳にしますが、それを克服することは実際なかなか難しいことです。
 私の仕事に関連して例をあげてみます。
 何度も何度もギックリ腰を繰り返して腰の状態が非常に悪くなった人は、ちょっとしたことですぐにピリッ、ギクッ、グキッとなってしまう経験が身にしみていますので、常にその状態にならないようにと気を使っています。そしてそれは“腰部を固めてなるべく動かないようにする”という対処方法です。布団に入る時、布団から起き上がる時、椅子に座る時、椅子から立ち上がる時、必ず背中や腰を固めて動かない状態にしてから動作を行おうとします。“固める”ということは”息を止めた状態”で動作するということです。「腰をゆるめながら動作しないと危ないですよ!」と注意するのですが、どうしてもそれができません。不安や恐れの気持ちが根深くあるので、本人が「ゆるめなくては‥‥」と思っていてもそれができないのです。
 そしてこのような人はすべての動作において警戒心が働いてしまうようです。自分の意に反して常に腰部が固まった状態になってしまいます。家事で洗い物をするとき、包丁を使う時、洗濯物を干す時、入浴で髪やからだを洗う時、誰かに呼ばれてふり向く時‥‥、あらゆる動きで腰や背中を固めてしまいますので筋肉のしなやかな連係プレイは望むことができず、すべての動作がロボットの動きのようになってしまいます。そして何よりも、すべての動作でピリッとかギクッとか筋肉を傷める確率が高くなってしまいます。

 筋肉や骨格の状態も改善してきて、普通にしているだけではそれほど腰痛を感じる状態ではないのに、散歩をしてくると腰部や殿部がカチッとなってしまい痛みを感じる部分ができてしまいます。すると、その後の家事がやりづらくなったり、肩や腕などに痛みを感じるようになってしまうことがあります。「朝は普通に包丁が使えたのに、夕方は肩がカチッと固まってしまい包丁が使えなくなった。」というのは腰が固まっているからかもしれません。
 右手を使う時、普通は左腰に体重を預けて動作を行います。椅子に座った状態で、右のお尻(坐骨)に重心を乗せた状態で右手を動かそうとすると、どことなく不自然な動きになります。ところが左のお尻に体重を移すと途端に右手の動きが楽になります。重心を掛けた側とは反対側の腕や脚がフリーになるからです。からだはこのようにできています。ですから右手で包丁を使うならば左脚に体重を乗せるようにしたり、あるいはキッチン台に左腰を預ける(ぶつける)ようにして斜に構えて右腕を操作するのが自然な在り方であると言えます。ところが左腰に痛みを感じたり、左腰が固まっている時はそれができませんので、両足で突っ立ったまま、あるいは右側に体重をかけて右腕を操作してしまいます。すると包丁が上手く使えないばかりか、右肩や右腕の負担が増し、痛みを感じるようになってしまうかもしれません。包丁を使った後、字を書いた後、手や腕がとても疲労してしまう人は、重心のかけ方を工夫するだけで問題が解決するかもしれません。

 「左腰がカチッとしているので体重を掛けられない」という心理は解ります。しかし私はあえて「工夫をして左腰に体重を乗せてください」と言います。ゆっくり軽く足踏みをしたり、ゆっくりからだを捻ったりして左腰が固まった状態を解除してくださいと言います。「左側に体重を掛けられる状態にしてからでないと包丁は使ってはいけない」と言っていますが、からだの改善を図っている人にとってはこの微妙な重心移動がとても重要な要素であると考えています。

 ここからが謎めいた話になりますが、私の母は考え事をするとき必ず頭を動かして右下やや後方に視線を向けます。こういう仕草をしないと脳の思考回路のスイッチが入らないのかもしれません。一方で“右下やや後方”ということは、脳の右端、“右耳辺り”の場所を使って思考を展開していると解釈することもできます。人それぞれに脳の中で思考を展開する特定の場所というものがあるようです。
 ある人は額(前頭葉)の右側寄りを使って思考を展開しています。何を考えるにもそこを使っていますので、しばしばその部分が頭痛に襲われますし、頭蓋骨もそのように歪んでいます(頭部が右側にずれている=頭の右側が大きい)。それだけならまだ良いのですが、観察していますとその部分を通過する思考は必ずマイナス思考になってしまうようで、それが問題です。「できない」「恐い」「慎重」「不安」というフィルターがそこに存在しているかのようです。例えばこれまで30㎝くらいしか動かすことができなかった動作を35㎝に拡げようとします。筋肉の状態は十分にその動作が可能な状態です。ところがこれまでよりも5㎝動作が大きくなると考えただけで息が上がりだし、緊張感が生まれ、不安に襲われてからだが硬直してしまいます。当然動作は上手くできません。
 「首肩から力を抜いてゆったりと腹式呼吸をしてください。」とやってもらいますと、始めの2~3回は上手くできます。余計なことを考えることなく、単にそのリズムと雰囲気を継続してもらうだけでからだはどんどんリラックスしていくのですが、こういうタイプの人はすぐさま頭の“いつもの場所”を使い始めてしまいます。「このやり方でいいのだろうか?」とマイナス思考の回路が台頭し始めます。すると腹式呼吸をしているはずが、次第に呼吸が上がってきて息苦しくなり首肩の緊張が増してしまいます。
 そうなった場合でも、「そこ(額の右側)に意識やイメージを持っていかないでください。額の中央にイメージを持っていき、“単に吐くこと”だけに集中してください。」と言いますと、すっかり息苦しく感じていた呼吸が急に楽になり始め、腹式呼吸ができるようになります。
 呼吸に限らずどんな運動を開始する時も、この方は先ず身構えてから動作を始めようとします。慎重に体勢を整えてから動作を開始しようとする姿は“集中する”という面では長所です。ところが知らず知らずのうちに額の右側を使ってしまので、それは大きなマイナスです。「そこ(額の右側)で何を考えているのですか?」と尋ねても「別に何も考えていない」と応えます。もう何十年もこの癖を持って生きてきたので本人にはごく自然のことであり、「何がいけないのか?」まったくわからないのかもしれません。
 「では、そこ(額の右側)に意図的に意識を持っていかないようにしてください。何を思うにも額の真ん中で行ってください。」とやっていただくと身構えることなく動作を開始することができるようになります。あるいは動作をしながら意識を額の中央に持っていっていただくと、最初はぎこちなかった動作が次第にスムーズにできるようになります。
 この方のご両親は大変しつけが厳しかったようで、幼少の頃から“ミスしてはいけい”という思いを抱いていたということです。これは私の想像ですが、怯えが常にあったのでご両親を真正面から見ることが出来なかったのかもしれません。そうであるならば、それが知らず知らずのうちに視線と意識を額の右側に寄せてしまう癖をつくってしまったのかもしれません。

 「上手くやろうとしないでください。気持ち良くなるようにやってください。」私が今、この方に言い続けている言葉です。たとえば最初から上手く歩くことができなくてもかまいません。歩き続けているうちに、歩みの一歩一歩が次第に心地良く感じられ、腰やお尻の筋肉が働いていることが気持ちよく感じられるようになれば、歩き方は自ずと良くなっていきます。そして気持ちよく歩けている時は額の右側の思考回路は停止しています。自然に顔が上を向き出し、視線がしっかりと前方を捉えるようになります。背も高くなったように感じられます。「この感覚をしっかり覚えてください。からだに染み付かせてください。」とそう言っています。
 しかし、一端止まって再び歩き始めてもらおうとすると、例によって、“上手く再現しよう”という思いが額の右側を占有し始め、身構えることから始めてしまいます。すると、たった今できたことが何秒か後にはできなくなってしまう状態になってしまいます。

 ピアノや楽器の練習、スポーツの練習、あるいは何かの習い事などを真剣にやってきた経験のある人たちには理解できると思いますが、「上手くやろう」という邪心が芽生えますと、それが自分自身を制限し始め、それまで普通にできていたことが突如できなくなってしまったりします。また反対に、その時の技量では「なかなか難しい」と思われていたことも一生懸命トレーニングを繰り返し、頭の中にしっかりとしたイメージが出来上がれば、いざ本番という時に無心(余計なことを思わない集中した状態)になって取り組むことができるようになり、自分の限界を超えることができたという経験をお持ちの人も多くいると思います。これをメンタルトレーニングなどと言って心理学的に考えることもできるのかもしれませんが、頭の使う場所、つまり脳のどの思考回路を使うかという観点で考えることもできると私は思っています。

 四十肩や五十肩で肩関節が思うように動かせないのに「関節が固まってしまうから‥‥」という私から見ればとても不合理な理屈でオモリを持たせ強制的に関節を動かすようなトレーニングをさせたり、膝が痛むのに太もも(大腿四頭筋)にかなりの負荷をかけて筋力をアップさせようとするトレーニングなどを推奨している専門家がたくさんいます。こういうことは私のところでは一切やりませんが、時々、その時点でのご自分の限界点をその方が超えようとするとき、どのような息づかい(呼吸)、どのような気持ちや頭の使い方をしているかを観察するために、「動かせる限界から、もう少しだけ動かそうとしてみてください。」とお願いすることがあります。
 限界点を超えて動かそうとするので痛みを感じます。ですから誰もが一瞬不安な気持ちに襲われます。この時、もしその方がこの症状でとても辛い思いや痛みを経験したことがあったり、あるいはトラウマが頭に甦ったりしますと、その方の呼吸は突如として変わり、からだが硬直して手に冷や汗が出てくるかもしれません。「少し痛くてもリラックスして、息を吐きながらもう少しだけ動かしてみてください」と言われたところで、「わかってはいるけど、できない!」ときっと思われることでしょう。
 そして「できない!」という思いがどこかにあれば、実際、それ以上は動かすことはできません。“恐い”、“できない”という否定的な感情や思考はとても強力です。瞬時に呼吸を悪くし、筋肉を硬直させてしまいます。
 限界を超えて何かに挑戦するためには集中力が何よりも大切です。腕が30㎝しか上がらなかったものを35㎝に拡げようとするなら、肩関節や腕のつけ根の筋肉に全意識を集中させて取り組む必要があります。ところが頭の中に否定的な思考が生まれますと、意識の力が分散してしまい集中力が消え失せてしまいます。ご自分では肩関節や腕に意識を集中させているつもりでも、実際には頭の中にある「できない!」という恐怖心に意識がとられてしまいます。ですから実際、“できない状態”になるばかりか、痛みを感じたり、呼吸が荒くなって息苦しさを体験することになります。

 この時の「できない!」「恐い!」という感情は思考回路だと私は考えています。
 腕が30㎝しか上がらないなら、30㎝上げることをゆっくりと幾度か繰り返してもらいます。この時に意識を肩関節あるいは腕のつけ根に持っていってもらうのですが、それは実際には頭の中にイメージを作りあげるという作業です。頭に肩関節のイメージを描いて、そこに意識を集中するということですが、この作業をいつもの右側ではなく額の中央で行ってもらいます。ゆっくりと幾度か(30㎝動かす)動作を繰り返していると集中力が増していき、無心の領域に近づいていくのが感じられます。するとやがて30㎝だった可動域が自然に35㎝になり、それを超えていくようになったりします。(但し、肉体的状態として”動かすことができない”というのはあります。こういう状態の時に「もっと動かして!」と強要するのはからだを更に壊す原因になりますので、それはダメです。)

 少々乱暴な言い方になりますが、誰でもプラス思考やマイナス思考を持っています。額は脳の前頭葉の場所ですが、そこで私たちはイメージを形成して思考を展開していきます。仮にその方の前頭葉の右側で視覚化されたイメージはマイナス思考に結びつき、前頭葉の中央で視覚化されたイメージはプラス思考に結びつくと考えるならば、額の右側を無視して欲しいと思います。長年の癖は引力がとても強いものです。実際、額の中央に集中しようとしても動作が限界点に近づくと額の右側から“引っ張り”がやってきます。一連のトレーニングが終了して“ふっ”と安心して気を許すとすぐに思考の場所が右側に戻ってしまったりします。ですから、額の中央で視覚化することが“ごく普通”、“当たり前”になるまで自分の思考の在り方を注視し続けなければなりません。

集中するということ
 ほとんどの人は今回の話に疑問や疑いを持たれていることと思います。実際に体験しなければ“誰もわからないだろう”ということを承知の上であえて話題にしました。その理由は、私のところに来られる方々の中には肉体的な不調だけでなく、それに関連して精神的にも苦しんでいる方々が多くいらっしゃいまして、「何か良い手立てはないだろうか?」と毎日のように考えているからです。
 これらの方々は、施術を終えたときは症状も軽快して心理的にも明るくなるのですが、何日かしますとまた元の悪い状態に戻ってしまいます。肉体的な問題だけでそうなるのであれば、私の見立てが見当違いだったのか、私の技術力が未熟だったのか、という問題としてとらえることができるのですが、明らかにそうではなく、本人の心理状態が不調を改善することに対して邪魔になっている場合があります。“呼吸が悪く首肩から力が抜けない人”はこの傾向の人だと思われます。

 “疑いの心”、“恐れ”、“不安感”は、からだを改善することだけでなくいろいろな面で“邪魔者”です。何かを達成しようとするとき、私たちはそのことに集中して取り組まなければなりません。集中力が欠如した状態では思いを現実化することはできません。好きな楽器を練習するとき、趣味やスポーツに没頭するとき、商談で話し合うとき、美味しい食事を口にするとき、私たちは自然とそのことに集中し、瞬間的であったとしても他のことは頭から消えてしまいます。それが私たちに本来備わっている“集中力”という能力です。「どうせできないさ」とか「自分にできるだろうか?」とか「できなかったらどうしよう?」といった邪心(疑い、不安、恐れ)が頭にある状態では物事に集中することはできません。
 ですから、からだの状態が悪い「今」を、良い状態に変更しようと考えるならば‥‥つまり健康な自分を現実化しようとするならば、邪心をどこかに放り出して集中力を最大限に発揮する必要があるという理屈になります。

 たとえば痛みの出ない範囲でゆっくりと腕を動かし始めることは、不安感や恐怖心が表に現れませんので、集中力を発揮しやすい状態で運動を開始するということです。そして何度か同じ運動を繰り返していますと、集中が次第に深まっていき、他のことは何も頭になくなるという領域に心がシフトしていきます。するとからだの細胞は頭(脳)の状態を反映するかのように動きが良くなり始め、可動域が少しずつ大きくなっていきます。(ゆっくり、じっくり動かすということが大切です。)
 観察していますと 不思議なことですが、頭(脳)はギアチェンジするかのように違う領域へと状態をシフトしていきます。それを“脳波の移行”(α波、β波、θ波、Δ波)というとらえ方で説明できるのかもしれませんが、それについては私はよく知りません。
 ミュージシャンや歌手が音楽に集中するとき、野球選手が最大限に集中力を発揮しているとき、サッカー選手が集中しているとき、顔つきが普段とは違って「集中しているなぁ!」とわかりますが、ここに来られる方々も集中しているときは、顔つきが変化しますので私にはわかります。それは“わざとらしい集中”や“大げさな集中”ではなく、地味で”静かな集中”という様相ですが、確実に呼吸の状態も良くなっています。ですから、自分自身の変革、変化に取り組んでいるときは「いつもこうあってほしいなぁ!」と思っています。
 そのためには、先ず邪心の入らない状態に自分をおくことから始め、少しだけの進歩や変化でもいいですから、それを”良し”と思っていただき、毎日着実に前に進んでいることを実感していただくことが大切だと思います。

 また、からだの不調をいつも気にしている人は、ここで取り上げた”静かな集中”、“邪心のない集中”が苦手な傾向にあります。からだの不調とは関係のない、例えばお喋りに夢中になる、テレビ番組に集中する、といったことに対しては何の邪心もないままにストレートに集中することができますが、からだや心の気になることに関しては「単に集中して観察する」ということができないようです。どうしても“自分の想い‥‥不安、恐れ、疑い”というフィルターを通して観察してしまうようです。疑いのフィルターを通してからだを観察すれば、「今は良くてもまた駄目になってしまうのではないか」という思考が形成されます。恐れのフィルターを通して観察すれば、「この運動でまたグキッと筋肉を傷めたらどうしよう」となります。
 そしてこれらの邪魔なフィルターは“思考回路”だと私は考えています。道路を走る自動車に例えるならば、目的地に着くまでにどうしても寄りたくなってしまう「道の駅」みたいなものです。道の駅を無視して真っ直ぐに目的地に向かうなら余計な買い物をすることもなく、時間を浪費することもありません。道の駅に寄って一服してしまいますと、トイレを済ました後突然、「やっぱり行くのは止めて家に戻ろうかな?」などという心が芽生えてしまうかもしれません。朝目覚めたときに思いついた「今日は遠出をして気分転換しよう!」という素晴らしい計画は道の駅に寄ったがために「遠出して本当に気分が変わるだろうか? やっぱり家に帰ってのんびりしよう」という尻つぼみの結果になってしまうかもしれません。
 邪魔なフィルターの回路とは、この道の駅のようなものです。そこを思考が通過してしまいますと、当初の目的とは別の結果が導き出されてしまうのです。ですから、その思考回路に思考を通過させないようにと、苦しんでいる方々にはお伝えしたいのです。

 上記に例として取り上げた方は、この邪魔な思考回路のある場所が額の右側です。ですから何を考えるにも「額の右側に持っていかないでください」と注意し続けています。それでも何十年にもわたる癖ですから、そう容易く克服することはできません。ふとした瞬間に、油断した瞬間に、額の右側は思考を引っ張り込んでしまうのです。

意識の向け方とからだの変化
 やはり首肩から力が抜けずに顎、首、肩が不調で苦しんでいる別の人がいます。「私は二人で並んで歩く時、左側(連れの人が右側) に居ないと落ち着かない」と仰います。つまり誰かが自分の左側にいると落ち着かなくなると解釈することができます。また同時に「赤面症の気があるようで、正面で相対して仕事の話しなどをすると顔が火照ってきて緊張してしまう」とも仰っていました。そこで実際に、私がその方の左側と右側に立ってからだの変化を観察してみました。すると実際には本人の思いとは反対に、私が左側に立つと首肩から力が抜けてからだはリラックスした状態になり、右側に立つと首肩に力が入りだし呼吸も荒くなってしまいました。そしてその方の正面に相対して眼を見ながら会話を始めると、ここでも二つの状態が現れました。私が正面やや右側で相対すると首肩に力が入り出し息が荒くなりますが、私が少し移動して正面やや左側の位置になりますと、それまでの緊張感はスッと消えました。
 この反応を私は、意識を右側に向けるとからだが緊張する、つまり自律神経の交感神経が優位になる傾向があると解釈しました。からだが自然と防御体制になってしまうと考えました。
 「これまでの人生でトラウマになるような出来事はありましたか?」と尋ねますと、なかなか思い出せなかったのですが、しばらくしてから「そういえば随分前だけど、子供の友人のお母さんから激しく苦情を言われたことがあって、その時のことがずっと心に残っているのかもしれない。赤面症のようになったのもそれからかもしれない。」と仰いました。
 赤面症を医学的どう捉えているのかは知りませんが、単純に考えますと“顔の表面に血液がたくさん集まる”ということですから、顔の血管をコントロールしている交感神経が活発に働き出すということであると考えることができます。また火照りなども感じるのであれば、顔だけでなく脳も含めて頭部全体の交感神経が活発化するということです。自律神経のうち交感神経は、本来“防御体制をとっていつでも逃げられる”準備をするためのものですし、副交感神経はこれとは反対にリラックスしてからだを休めるためのものです。
 こう考えますと、この方が誰かと並ぶ時は右側にいて欲しいと願うのは、何かあったらいつでも逃げ出せる状態に自分を置いておきたいという深層心理なのかもしれません。
 これを“意識の向け方”という観点で考えますと、意識を右側に向けておけばいつでも防御できる状態なので安心感が生まれ、意識を左側に向けることは、どこか無防備に感じてしまい、からだはリラックスするかもしれないけど心は落ち着かなくなる、ということであると考えることもできます。

 意識がいつも頭や首や肩にある人はそこから力を抜くことがなかなかできません。つまり悩み続けている時や、いつも頭で考え続けている人は自然と顔首肩に力が入ってしまうということです。こういう人に「肩の力を抜いてください」と言ったところで、実際のところそれは難しいことです。意識がそこ(首・肩・頭)から離れないので力の抜き方がわからなくなってしまうのです。ですから私は「意識を足の方に向けてください」とか、腰を捻る運動や下半身を使う運動をやってもらったりします。すると意識がそちらの方に移動するので自然と首肩から力が抜けるようになります。
 なかなか首肩から力を抜くことができない人に対して、稀にとても抽象的な質問ですが、「今、この瞬間、あなたはどこで生きていますか?」と尋ねることがあります。つまり意識をどこに集中させていますか? ということなのですが、上記の”思考回路”のことも含めて、その方の癖を自分自身で実感していただきたい、そしてその癖を克服することに挑戦していただきたいという願いを込めて、こんな突飛な質問をすることがあります。

 私は心理学者でも心理セラピストでもありませんので、トラウマや上記で取り上げたような状況を根本的に解決するためにどうすればよいかということは知りません。ですからここに記してきたような事柄はもしかしたら単なる対処法に過ぎないかもしれません。しかしながら色々な病院を巡っても曖昧な応えしか得られず、挙げ句の果てに心療内科に回され、結局のところ薬を出されて釈然としない思いを抱いている人達の話を聞きますと、このようなアプローチ方法も有効な手段ではないかと思っています。

 思考回路のことに話を戻せば、私の仕事上での思考回路は「からだは全部つながっている」というものです。この思考回路を通して皆さんのからだを観察し、施術の方針を決めています。ですから骨盤を調整するために足先や手指を施術したり、噛みしめや目のコリを解消したりすることは、からだは全てつながっていて影響し合っていると考えている私にとっては何ら不自然ではなくごく当たり前のことです。ところが現代医学ではほとんどそのような考え方やアプローチはしませんし、テレビや本や雑誌などから情報を得ている皆さんも同様だと思います。これは大雑把に言ってしまえば、私とお医者さんとは思考回路がまったく異なっているということです。私もかつてはお医者さんや皆さんと同じような思考回路を使ってからだを観察していました。「腰痛の原因は椎間板が云々で、神経が圧迫されて云々」と勉強していましたので、そのような目(思考回路)で腰痛を捉えていました。ところがそれでは解決しない、“腑に落ちない”ことをたくさん経験しましたので、根本的に考え方を変えようと決心しました。つまり、それまでコツコツと勉強して築き上げてきた思考回路を全く別のものに取り替える作業に取り組んだのです。新しい思考回路が確立するまで2~3年は掛かったと思います。その間は、元々の思考回路からの攻撃(引力)をたくさん受けました。腰痛の方が来店されると、つい“神経の圧迫”とか“椎間や腰椎”などと頭に浮かんできてしまうのです。
 ですから思考回路を変更するということ、これまでの思考回路を使わずに新たな思考回路を築き上げるという作業が如何に大変で、粘り強い忍耐力が必要なことはよく理解しています。決して一朝一夕にできることではありません。しかし思考回路が変われば、からだが変わり、からだの使い方が変わります。
 顔・首・肩から力が抜けずに辛い思いをしている人、呼吸が苦しくて生きているだけでも辛いと感じている人、そういう人達は肉体的な調整だけでは不十分です。肩こりをほぐしても、楽に感じるのはその時だけです。
“今の自分”を抜け出して、心地良い自分、新たな自分になることを目指すのであれば、忍耐することを心に決めて”考え方を変えること”、つまり新たな思考回路を築き上げることに取り組んでみてはいかがかと思います。

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