ゆめとわのblog

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2015年02月

 先日お客さんから素朴な疑問として「体の老廃物って何?」と聞かれました。“デトックス”という言葉も流行って、体内に溜まった老廃物を出すことによって健康になり、ダイエットになるというイメージを持っている人も多いと思います。ところで“体の老廃物”とは一体何でしょう?

 老廃物について、大辞林の説明は下記の通りです。
 「生体内で生成された代謝産物で生体にとって不必要となったもの。二酸化炭素・尿素・尿酸・クレアチニンなどの含窒素有機物,種々の有機酸・無機塩などで,呼気・尿・汗・糞便などに混じって排出される。」

 少し難しい言葉が並んでいますので、もう少しわかりやすくしてみたいと思います。
 “老廃物を流す”ことを語る上でのキーワードは“水”と“代謝”になろうかと思います。
 私たちは油分以外の汚れを流し去るために水道水を使いますが、水が汚れを落としてくれれることは誰にでも理解できるところです。私たちは口を通して水を飲み、汗や尿として排出しますが、それは体内の汚れを流し去るためだというのが主な理由です。ですから汗や尿の出が悪いときは、体内の汚れを外に出すことができないで不調になると考えることができます。

 “代謝”、“代謝産物”については、細胞の活動がイメージしやすい例えかもしれません。
 私たちの今の体の細胞は1年後にはすっかり入れ替わっていると言います(入れ替わりの周期は器官によって様々)。古い細胞が新しい細胞に入れ替わることを新陳代謝と呼びますが、その方法は自分自身の分身(コピー)を新たにつくり出す細胞分裂です。一つの細胞の中には細胞核があり、その中に遺伝子DNAがあります。細胞分裂のはじめ、DNAが自分とまったく同じDNAをもう一つつくります。それが二つの極に分かれますが、それにともない細胞が二つに分かれるという段階を経て細胞分裂が行われるのですが、その仕事が終わると古い方の細胞は自ら死んで新しい細胞のみその場に残していくという命を繋ぐという営みがなされています。この時、死骸となった古い細胞をつくっていた物質が老廃物となります。
 また細胞分裂だけでなく細胞は私たちの体の機能を維持するために様々な活動を行っています。例えば体の活動にとってホルモンはなくてはならないものですが、ストレスに対抗するために欠かすことのできないステロイドホルモンは副腎という器官でつくられます。血液(動脈血)の中には細胞の活動に必要なあらゆる物質が含まれていますが、副腎は脳からの指令(これもホルモンであり、血液中を流れてやって来る)に基づき、血中成分からステロイドホルモンを産生するのに必要な物質を取り入れ細胞内で化学反応を行います。この時、実際には細胞内の酵素がその作業を担当するのですが(代謝)、そこでも作業が終わった後にゴミがでます。日曜大工で材料を削った時に出てしまうゴミと同じようなもので、これも老廃物です。
 さらに細胞が活動するためにはエネルギーが必要ですが、そのエネルギーは呼吸によって取り入れた酸素を燃やす(酸化作用)ことによって得ます。酸素が燃焼した後には炭酸ガス(二酸化炭素)ができますが、それも細胞にとっては不要なゴミですので老廃物となります。
 ですから体の老廃物とは、①古くなった細胞の死骸、②細胞内の化学反応でできた不要物、③二酸化炭素の3つが主な物であると考えてよいと思います。

老廃物を排泄する経路
 動脈の毛細血管から細胞内に取り入れられた水と酸素と材料(栄養)は細胞内で様々に加工され、不要となった二酸化炭素を含めた老廃物(ゴミ)は細胞から出て静脈やリンパの流れに乗って一端心臓に戻ります。その後腎臓に送られ、何度も何度も濾過されます。その過程で再利用できる物質は肝臓に送られ再利用され、不要な物質は分別されて尿となり体外に放出されます。これが体内でできた老廃物(炭酸ガス以外)の排出主要経路ですが、その他には糞便排泄や発汗があります。
 糞便は食物繊維など摂取した食物の中で(小腸で)吸収されなかったカスや、大腸内のビフィズス菌などの微生物・細菌類や、腸管から垢となって剥離した細胞の死骸が主な構成物です。
 発汗は、そのほとんどが水と塩ですが、尿と同じ成分も微量含まれています。ただ腋窩や会陰にあるアポクリン腺からは臭いも出ますので、その他の物質も含まれていると思われます。

老廃物の停滞
 ところで体の老廃物が順調に循環し、排出されていれば問題ないのですが、時に体内に停滞してしまう場合があります。肩こりでパンパンに硬くなってしまうのはその典型的な例ですが、筋肉を使い続けると乳酸がたくさんできて停滞し、ふくらはぎや腕などが硬くなり張ってしまうこともあり余す。
 老廃物は静脈やリンパに乗って循環しますので、老廃物が停滞しているということは静脈やリンパの流れが滞っているということです。ですからそのような場合はリンパマッサージや肩こりマッサージなどが有効ですが、マッサージをしてもすぐにまたパンパンになってしまうようであれば、静脈の流れを整える必要があると考えられます。 

 私たちの頭の中には脳があります。肉体面での脳の主な働きは、感覚器官(目・鼻・耳・舌・皮膚)を通して得られた情報を処理して自分の意図するとおりに体を動かすこと(随意神経)と、体が順調に生理機能を維持できるようにコントロールすること(自律神経)です。それ以外に、精神活動における感情や思考の中枢でもあります。しかし、ここでは精神活動の件は横に置き、肉体面についてのみ考えてみます。

 私たちの多くが、肉体をコントロールしている中枢は頭の中の脳であると思っています。ところが内臓の働きをコントロールしている中枢は骨盤の近くにもあります。これを”仙髄”と言いますが、大腸、直腸、膀胱、生殖器は仙髄の副交感神経によってコントロールされています。
 
自律神経01
 発生学的に見ますと、私たちの祖先である太古の動物は頭とお尻が分かれていませんでした。それが海の中で波に任せて漂っているうちに、水の流れの力による影響で次第に体が長くなり、やがて魚の形(脊椎動物)になると、頭部と腹部と殿部という区分がはっきりできるようになったということです。さらに太古の海では天敵というのもなかったようで、食べて、寝て、出して、体を休めるための神経(副交感神経)しかなかったそうです。ですから、その名残として私たちの副交感神経は頭(脳幹)と尻(仙髄)にしかなく、天敵から逃げるために発達した交感神経は後に発達した胴体(胸髄・腰髄)から出ているということです。

 さて、生物が命を維持するために一番必要な器官は”腸”だという考え方があります。脳も顔も食道も胃などの消化器官や小腸、大腸といった別々に存在すると考えられている内臓器官はすべて腸から分化してできました。ですから元々は体を調整する中枢は腸にあったと考えられています。私たちの感覚は感覚器官を通して得られるものしか基本的に感じることができませんので、のど元をすぎると食物がどのように変化するのか感じることはできません。臓器に異常が現れると、それが深部感覚を通して不快感や異常として感じられる場合がありますが、それ以外は中で何が行われているかは感覚の特に鋭敏な人を除いて知ることはできません。しかし、私たちの意識が知るか知らないかに関わらず、消化・吸収・栄養化という作業は日々順調に行われています。これをすべて頭の脳でコントロールしているという考え方も成り立つかもしれませんが、発生学の研究者の中には腸の中に脳に匹敵する中枢があってコントロールされていると結論づけている人もいます。
 エサを見つけて食べ、呼吸を行う脳を口脳(鰓脳)と言い、消化吸収のための脳を腸脳、排泄と生殖のための脳を肛脳(排脳)と呼ぶ研究者もいます。

 “内臓には内臓の働きをコントロールする中枢がある”と考えますと、異物が体内に侵入したとき免疫力を発揮して対抗したり、嘔吐によって拒絶や体外排出したりするのは腸脳の働きとなります。
 現代科学に基礎をおく現代医学(西洋医学)は頭の脳が生理機能の全てを司る中枢だと考えるのを好んでいるようですが、伝統医学である中医学(東洋医学)では、“三焦”と言って、体を胸部(上焦)と腹部(中焦)と下腹部(下焦)に分け、それぞれが体内エネルギーの循環において重要な役割を担っていると考えています。“丹田呼吸”という呼吸法で重要とされている下丹田(臍下三寸)は下腹部のエネルギー中枢を指しており、副交感神経の中枢である仙髄に対応しています。
 
三焦

 エネルギー(気、プラーナ)というのは実体が目に見えませんし科学機器では測定できませんので現代科学ではほとんど無視している状況ですが、中医学やヨガ、アーユルヴェーダといったインド伝統医学では、物質的要素よりも重要に考えています。
 ところで、中医学には経絡・経穴(ツボ)という概念がありますが、三焦の経絡は手の薬指に対応しています。私は施術において薬指に力が入るかどうかをとても重要視していまが、体の虚弱な人、体内エネルギーの巡りの悪い人は薬指に全然力が入りません。このような人は歯ぎしりや噛みしめの癖を持っていることがほとんどで、手のひらや足裏の汗とも関係があります。

母指と示指・環指の対立筋検査

 “腸の脳”といっても、その実体は見えませんので、ほとんどの人は信じないかもしれません。しかし、お腹が冷える(低体温)と体の生理機能が大幅に低下しますし、傷んだ食物食べると嘔吐や激しい下痢になったりします。それは内臓(腸管)が食した物に反応しているということです。“食べたものに○○菌があって炎症を起こした”と科学的には解釈するかもしれませんが、腸はもっと単純に、それが体に有害であると判断すれば下痢で流してしまったり、嘔吐で吐き出してしまったりするだけなのかもしれません。犬を散歩に連れて行き、飼い主の目を盗んでは道ばたの雑草をパクりとした後で、オエッ、オエッと吐き出すのは、このことの端的な現れだと思います。
 現代医学的には、こういうことも頭の脳が処理していると考えるのかもしれませんが、真実はもっと単純で、腸自体が取捨選択し、不必要な物は体外に放出するように命令をだしているのではないかと思うのです。

 昔の人は肉や魚を選ぶ際に臭いをとても重要視していたように思います。つまり自分の感覚(鼻が生物にとって一番古い感覚器官)で食べられるものか、食べられないものかを判断していたわけです。言ってみれば自分を含め家族の健康は自己責任でした。現在、私たちは“消費期限”をとても重要視しています。ですから自己責任ではなくなったわけです。これによって私たちの鼻の能力は次第に低下していきます。解剖学的に顔は内臓が露出したものですから、内臓の能力が低下していくという考え方できるようになります。

 ちょっと余談になりますが、昨日20代の女性がきました。頭の回転があまり良くありませんでした。ところがお腹を温める施術をすると頭の回転が速くなりました。それは九九を暗算してもらうとすぐにわかることです。お腹が温まり腸管の働きが良くなると脳の働きも良くなるのだと私は考えています。
 常にお腹が温まっている状態にしていれば、腸(内臓)の働きが良くなるだけでなく、脳の機能も良くなるため精神的にも余裕が生まれます。するとこんなにストレスの多い社会ですが、自分らしく渡っていくことができるようになるのではないかと、そんなふうに思います。

 信じるか信じないかは別にして、腸管は単に食物を消化吸収するだけの存在ではなく、生命体としての根幹であり、腸も頭と同じように生命や健康を維持するために中枢器官として働いているという考え方もあるのだなぁ、と思っていただければ幸いです。

 退院後、日々順調に過ごしていた母に突如として強いめまいと吐き気が襲いました。
 毎日のマッサージと歩行で、頭の方もスッキリしている日々が続いていましたので、18日の通院の前に予行練習として12日に一人で大学病院まで行ってもらうことにしました。ところが、もう大丈夫のように思っていた私の予想に反して、すんなりと病院にたどり着くことはできませんでした。大学病院に行く予定だったのに、何を思い込んだか2つ手前の駅で下車し、大学キャンパスの方に行ってしまいました。病院に着いたのは予定より1時間半も遅い時間でした。戻ってくると「もうくたくた」と言い、「私はなんで今日病院に行かなければならなかったのか?」と朝打ち合わせしたこともすっかり忘れ、思考が混乱した様子でした。それまで認知症の状態も良くなってきたかに思えていたので、私も少しショックを感じました。
 次の日は、前日の疲れもあってか、頭が少しフラフラするということだったので、家でおとなしくしてもらいました。翌日の14日は朝、スッキリした顔で起きてきました。しかし、朝食の後、「頭がフラフラしてきたのでマッサージをしてもらいたい」と電話が掛かってきました。自宅から店までは母の足で12~13分かかりますが、歩くことはできるということだったので店に来てもらい1時間程いろいろ施術をしました。すると元気になり頭もスッキリしたということで、コンビニに寄って帰りました。
 その日は3時頃再び電話が入り、昼食をすますと気持ち悪くなってきたということです。私は一度家に戻り少し施術を行いました。するとまた元気になり夕食と入浴済ませたそうです。しかし、その後再びフラフラ感を感じるようになり、それが次第に強まって吐き気とめまいがひどくなりました。私が戻った夜9時頃には何回も嘔吐を繰り返したようで衰弱しきった様子でしたが、なかなか吐き気がおさまらない状態でした。
 体は芯から冷え切っていて強い寒気を感じていました。血圧は180~200と、かなり高い状態でした。体を触るとお腹は筋肉がたるみきった感じでふにゃふにゃでした。体を起こすこともできないくらい全身に力が入らない状態でした。ところが不思議ですね、吐き気が強まり、いざ吐こうとすると体に力が入り、起き上がってビニール袋に顔を身構えることができるようになります。
 私はほとんどお腹に手を当てているだけの施術を1時間くらい続けていました。その間何度も吐き気に襲われましたが、ちょうど下腹部(小腸のところ)をしばらく触っていたとき、大きなお腹の動きとともに大量の嘔吐が一気に起きました。それまでは吐きたくても吐く物がお腹に残っていない状況で、チョロチョロっとしか出せなかったものが、小腸のところから一気に吐き出すことができたような感じです。
 その後トイレに行き尿とともに少し吐いたようですが、それで体はだいぶ落ち着いたようです。布団でスヤスヤと眠りだしました。強烈な吐き気との闘いで疲れもあってか、朝まで熟睡したようです。
 次の日は元気を取り戻し、快適に過ごしていましたが、二日目、三日目は朝起きるとまだ少しフラフラするようで、日に何度かめまいに襲われたりしていました。その原因についてはわかりませんが、明日は病院に行く日なので医師の話を聞いてみたいと思います。

 母は長年リウマチの薬を飲み続けていました。昨年12月に入院し、治療の過程でいろいろな薬を使ったはずですし、退院後は薬がすっかり変わりました。退院から一月半が経過しましたが、これらの変化に対する体の反応でこのような状態になってしまった可能性も考えられますし、認知症に絡んだ頭の問題でこうなった可能性も考えられます。

 観察していて一つだけ確実なことがあります。それは、フワフワするとかめまいを感じるとか頭の状態がおかしくなっているときは、顔がかなり歪み、頬が落ちてしまうことです。顔の歪みを施術で直すと一時的に体の調子も良くなりますが、しばらして不調の波が襲ってきますと、体調不良とともに顔もまた歪んでしまいます。顔のことを専門用語で内臓頭蓋と言いますが、内臓の状態が顔の骨格に現れるということを改めて確認した思いです。
 さて、本日はとても寒く冷たい雨が降っている状況ですが、午前9時頃調子が悪いと言うので、顔はいじらず体を温める施術だけ1時間ほど行いました。その後体調が戻り、「今日は何処にも出掛けないで!」と言う私の静止にもかかわらず午後になってコンビニまで往復30分くらい歩いたようです。それはそれで記憶と判断力に問題ありなのですが、特に体調が崩れる様子もないようです。
 私は個人的な見解として、まだ腸の中には異物が残っていて、それを出し切るまではまだ何回か強い吐き気とともに苦しい嘔吐をしなければならないかもしれないと思っています。そして全部がきれいになったとき、頭の方もしっかり戻ってくるのではないかと、淡い期待を抱いています。
 腸と頭(脳)の関係については、発生学的に強い関連性が指摘されています。そのことについてはまた後日取り上げたいと考えています。

 今の時代、とても多くの人が高血圧の薬を常用しています。高血圧の基準値が時ともに下がり始め、昔は140を超えると高血圧だったものが、いつの間にか135になり今では130になっているようです。普通の人は医師からそう言われたり、テレビなどの情報でそう言われますと、そう思うしかないわけですが、それで薬を常用するのは何かがおかしいと思ってしまいます。
 本来、薬というのは病気を治すためのものであり、治ったら飲むべきものではないはずです。ところが「今は血圧も大丈夫だけど、念のために飲んでおいた方がいいようなことを医師から言われた」みたいな話を聞きます。毎日飲む必要があるなら、それは薬ではなく食物と同じになってしまいます。体が薬を食事と同じように受け取るようになると、薬を飲まないと体が不調になってしまうという状態を招くのではないでしょうか。一種の中毒です。仮に高血圧の薬は副作用がほとんどないと言ったところで、やはり薬は薬で、合成化合物です。体には不自然なものであるのは間違いのないことです。
 私もこの2月から3月にかけては血圧が上がります。150とか行ってしまうときもあります。あまりそういう状態が続くとさすがにクリニックに行って血圧の薬を出してもらいますが、飲んでも2週間で止めてしまう場合がほとんどです。それが医学的に正しいかどうかは知りませんが、やはり薬は病んでいるときに飲むものであって、状態が良くなったら止めるべきものであるという考えが根強いようです。

 さて、医学的見解は別にして、高血圧について考えてみたいと思います。
 そもそも血圧というのは、心臓がそのポンプ力を使って血液を送り出すことによって生じる圧力ですから、言い換えれば、頭の天辺にまで血液を上げるために圧力がどれくらい必要かという数値でもあると思います。
高血圧の人は普通の人以上に血圧を上げないと血液が頭の天辺まで届かないという意味でもあります。ですから、寝ているときと立っているときとでは当然血圧は変わります。寝ている方が重力が減りますので、軽い力で頭まで血液が届くわけですから。
 そう考えますと、高血圧になってしまったということは、それまでの圧力では頭まで血液が届かないと心臓が判断して心臓の力を増している状態であるということも言えます。同じ高血圧でも血管というよりは心臓に負担が掛かっている状態と考えることができます。この状況を単純に考えますと、血管を弛めて拡げる薬は的外れになります。血管を拡げて血圧を下げますと、更に血液は頭に届きにくくなるからです。それよりも何処かに血液の流れを邪魔しているところがあると考えて、それを治すようにするのが正しい方法ではないでしょうか。
 時折、首肩のこりを改善すると血圧が下がる人がいます。そういう人は、このような状態かもしれません。首や肩の筋肉がコリコリに硬く太くなって血管を圧迫しているため、そのコリがなくなると血液の流れがよくなりスムーズに頭部に血液が届くので、心臓はそんなに頑張らなくてもよくなったと考えることもできます。

 また、血圧は動脈血管に掛かる圧力ですが、動脈と静脈は切っても切れない関係です。血液は心臓から出て静脈を通って心臓に還ってくる循環ですから、静脈の流れが悪いと循環が停滞しやすくなります。そうしますと心臓に還ってくる血流量が減りますので心臓は益々力を出して強制的にでも血液を循環させようとするはずです。これが血圧を上げる要因にもなりますし、心臓に負担を強いる原因にもなります。静脈の滞りは不整脈とか動悸とかに関係があるのではないかと思います。全身の静脈の流れでは、先日も取り上げました鎖骨下静脈と鼡径部の状態をまずチェックしてみる必要があります。実際、その部分を整えますとむくみが取れるほか、全身の機能が良くなり、体はリラックスします。

 動脈硬化などによって動脈の血管が硬くなったり、細くなったりしますと血圧が上がるのは当然の理屈です。特に動脈硬化に対しては高血圧は血管を損傷する最大の要因かもしれません。ですから、そういう場合は薬を使って血管を弛めて拡げ、高血圧の状態にならないように細心の注意を払う必要がありますし、長期にわたって薬を手放すことはできないでしょう。
 しかし高血圧のすべてが血管の問題ということではないと思います。この問題は専門家に委ねるしかありませんが、私のところに来られる高齢者のほとんどは、高血圧の薬を何年も毎日飲み続けていて、地元クリニックの医師からは半ば“歳をとっているから薬を飲むのは当然”という感じで今の状態を続けるように言われています。それが安全だと。高血圧は多くの人が罹る病気なので、皆があまり考えず受け入れ、医師の側もごく普通に対応していますが、何処か感覚が麻痺しているように私は感じてしまいます。

 私は数年前の3月に突如として唇の端がしびれ出しました。脳梗塞の兆候であることはすぐにわかりましたので、すぐさま最寄りの脳外科を訪れました。血圧を測ったら180とかあって、脈搏も1分に120回とかでした。緊急で血圧を下げる処置をしていただきましたが、その後は2週間ほど血圧の薬を飲みましたが、それで薬は止めました。
 これはあくまでも私の想像ですが、脳梗塞で詰まったものを除去するために体が自ら心臓を活発に動かし、血流を増大させたのではないかと思うのです。血流の勢いを増すことによって詰まった物を押し流そうとしたのではないかと。
 毎年、この寒い時期になりますと血圧は上がります。血管が細くなるからでしょう。しかし春を過ぎて温かくなりますと高血圧ではなくなります。それは血管が弛むからでしょう。
 このように血圧が季節によって違うのは当然の理屈だと思います。それを一概に“130以上は高血圧”と決めつけて、“薬を飲まなければならない”とするのは、科学的のように見えて、どこか非合理的な結論の出し方に思います。
 皆さんはどう思われますか。

 なお、私は医者ではありませんので、ここに記したことはあくまでも私個人のひとつの考え方として捉えてください。ただ、やはり一人一人が高血圧、あるいは低血圧についていろいろ考えてみることは必要だと思ったので取り上げました。

 「椅子から立ち上がるときが痛い」「ベッドから起き上がるときが痛い」「歩き始めのときが痛い」「寝返りがうてない」というのはギックリ腰もしくは、それ同様の症状です。あるいは過去のギックリ腰や殿部の損傷が完全に治っていないということです。
 ギックリ腰にも程度がありまして、ひどいものであれば衝撃とともに「やってしまった」という感覚が湧き上がりますが、程度の非常に軽い場合は、私が質問しても「覚えがない」という返答になります。あるいは「このままだとギックリになりそうで」と思われて来店された場合は、ほとんどが既にギックリになった状態です。
「電車を待つ間5分くらい冷たいベンチに腰掛けていたら次の朝起き上がれなくて」というのもギックリの類です。
 私が“ギックリ”という言葉を使うのは、施術する場所が何処かということで決めています。通常の腰痛は、腰や殿部をケガや打撲をしたわけでもないのにもたらされるので、体のいろいろな歪みのしわ寄せが腰に集中して痛みを発していると考えることができます。ですから、腰痛のための施術ですが、腰や殿部を直接施術することはほとんどありません。
 ところが、ギックリ(急性腰痛)は腰や殿部を損傷してしまったり、スジ(筋肉や筋膜)を伸ばしてしまったためにもたらされますので、直接腰や殿部(ほとんどが仙骨・尾骨部)を施術します。

 腰や殿部を損傷しますと、力が入らなくなります。程度がひどければ全身の力が入りません。ですから、固まったまましばらくは体をまったく動かせなくなったりします。程度が軽ければ、ある特定の動作で力が入らなくなります。寝返りが打てない。起き上がれない。立ち上がれない。前屈ができない。腰を伸ばせない。等々いろいろありますが、力が入らないというのがその特徴です。それでも歩き続けたりしていますと血液の循環が良くなって、それなりに筋肉が働くようになりますので痛みが軽減します。ところが歩いた後、少しの間椅子に座って休み、その後立ち上がろうとすると再び痛みに襲われたりします。
 こういう場合は患部を揉んでもまったく良くなりません。損傷した部分を修復する以外に方法はありません。

 ギックリになってしまうのは、それなりに原因があります。体の歪みや筋肉の張りに、筋肉はそれでも耐え続けていたものが急に冷えて耐えられなくなったとか、限界状態で耐えていたところに重たい物をもったり強い運動をしたために限界をこえてしまった場合など、つまり肉離れに似た状態です。尻もちをついたとか尾てい骨を打撲して損傷してしまったというのもあります。あるいは過去のギックリ腰の傷が完全には治っていなくて、何かの拍子にそこに傷が入ってしまったというのもけっこうあります。

 私はギックリの施術を行うときは、まずふくらはぎから下と手への施術から始めます。ギックリになってしまうほど体が頑張っていたということは、よく使う手足の筋肉もハリハリになっているということです。ですからそれらを施術することによって体全体をニュートラルな状態に戻し、腰部や殿部に負荷が掛からない状態にしておいてから、傷ついた部分を修復する施術を行っています。
 私の施術は手だけで行い機械や道具は一切使用しませんが、損傷部分の修復に際しては最後にマグレインという小さな玉を損傷部分に貼ります。ピッタリ損傷部分に当たれば、それまでの腰痛が嘘のように軽減して体が思うように動かせるようになります。皆さんは「摩法のようだ」と言いますが、摩法でも特殊技術でもなく、単に、損傷して働かなくなった点のような部分を何かで補うと働けるようになるというだけのことです。あとは何日かマグレインを貼り続けていれば損傷部分が回復しますので、ギックリ腰が改善するという理屈です。ただ、この損傷部分はミリ単位の小さな部分であり、体表からは観察できませんので、その場所を特定するのは技術と経験が必要ではありますが。

 もう何年も、寝返りで痛みが出るとか、ある特定の動作ができないという人が時々来ます。もしその人が過去にギックリ腰を経験したことがあるのであれば、その傷が治りきっていないためかもしれません。捻挫もそうですが、こういう損傷は何十年経っても治らない場合があります。そのような場合も、きちんと損傷部分を修復すれば状態は改善します。ですから腰痛治療のために、あるいは痛みを軽減するためにマッサージや湿布に頼っている方は、一度損傷部分修復の施術を受けられることをおすすめします。

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