私が子供の時分には耳にした記憶のない言葉で、最近ときどき耳にする言葉に「発達障害」があります。
 発達障害と診断されている子供たちを何人か施術してきましたが、私の感覚では、半分くらいの子供たちは、文字通りの発達障害、つまり心身の発達に問題があるとは思えませんでした。
 現代はいろいろなものにレッテルを貼りたがる風潮のように感じますが、私は個人的にとても残念に思いますし、悲しい気持ちになることもあります。
 私たち一人一人は個性として、能力に特色や違いがあるものの天からの目といいますか、大きな視点で見れば、誰もが大差ないのに、どうして区別したがるのか、不思議に思います。

 さて、現在月に一度のペースで来店されている20歳前の青年がいます。自称ニートで、日々ゆったりと気ままに暮らしているようです。 
 肉体的に細かい問題を多く抱えていますが、施術中の会話は彼の好きな音楽の話題が中心になります。そして肉体的な問題の原因は小学生時代に多く、空手を習っている時によく頭を叩かれたこと、同級生からのいじめでいくつかのキズが残っていることなどがありました。さらに乳児の頃は脱腸を患ったとのことですが、その影響もありました。

 直近の施術で彼は、自分が発達障害だったこと、小学生時代から貧乏揺すりをしていて先生に激しく注意されていたこと、授業がまったくつまらなくて授業中は図書室から借りていた本ばかりを読んでいて先生に怒られてばかりいたことなどを話してくれました。

 私はどんな状態に人に対しても希望をもって施術を行うようにしています。その希望というのはこういう(以下のような)感じです。
 たとえ今、最悪な状態であったとしても、きっかけになるポイントさえクリアすれば、必ず状況は好転していき、その人がそれまで気づかなかった何かに気づき、将来に希望を抱いていけるようになってくれるだろう、というものです。

 彼は発達障害と診断されて、いじめに遭い、心だけでなく肉体もキズを負い、そして社会に馴染めず、大方の人から見れば歪んだ生き方をしています。
 そして発達障害と診断された大きな理由は、じっとしていられない、集中力が散漫で同じことを長く続けることができないというものだったそうです。
 多動症は発達障害の診断基準の一つのようですが、私は「単に、肉体的にじっと座っていられないことが原因なのではないか?」と考えてみることから施術を行うようにしています。
 今回、彼から「小学校に入る前から貧乏揺すりをしていた」と聞きましたので、それは心理的な何かが原因しての貧乏揺すりではなく、肉体的な問題を抱えていて貧乏揺すりせざるを得なかったのではないかと考えました。
 小学校の低学年の時、国語や算数を習いたくともじっと座っていることができないので、注意は散漫になるし、貧乏揺すりをしていないと椅子にいることができなかったことが元々の始まりなのかもしれないと考えてみました。

 そして、ベッドの上に座ってもらいテストをしてみました。
 私は貧乏揺すりをすることができませんが、彼は易々と長い時間貧乏揺すりをすることができました。私はちょっとビックリしました。
 貧乏揺すりを停止してもらうと、やはり座っているのが落ち着かない感じです。「なるほどなるほど、そういうことか」と思いまして、彼が落ち着いて座ることのできない原因を探していきました。
 座位では骨盤底が弛んでいましたが、それを私の手で締めると重心が骨盤に乗って安定し、貧乏揺すりせずとも座っていることができるようになることが解りました。
 ですから、次は骨盤底がゆるんでいる理由を探すことになりますが、それには手間がかかりました。左足の距骨の歪みを正すことで骨盤底がしっかりすることはわかりましたが、その理由は第1頸椎の捻れにあって、それは喉の右側が下がっていることが影響していて‥‥‥‥結局、右足の立方骨が歪んでいることが原因でした。おそらく乳幼児の頃に強い捻挫でもして、それが完治しないまま今日まできているのだろうと思います。
 つまり幼い頃の右足首の捻挫が原因で、じっと座り続けることができなくなり、小学校低学年のときから注意散漫と多動症を指摘され、そしていじめにあって心理的にもストレスを抱え、勉強も嫌いで、一般社会に馴染めない存在になってしまったのかもしれません。

 彼は現在、通信制の大学を受験することになっています。今から間に合うのかどうかは解りませんが、今回の施術で安定して座ることができるからだになりましたので、集中力も生まれてくるものと思います。
 まだ20歳前ですから、これからの長い人生、これまでとは違った自分づくりをしていただきたいと願っています。

 発達障害の症状の一つである自閉スペクトラム症だと思われる少年がいました。彼は頭の働きが鈍かったのですが、それは頭蓋骨の歪みなども関係していました。小学校低学年の頃は発達障害のクラスにいましたが、現在は普通のクラスにいます。ですから発達障害の診断は適当でなかったと私は思います。
 また、興味のあることには非常に熱心ですが、興味のない勉強や宿題はまったくできない小学生の女子もときどき来店されます。現在は5年生ですが、2年生の頃はお母さんがとても心配していました。私から見ると普通にまともで、嫌いな勉強は一切したくないという意志を貫き通す大した子だなと思っています。まったくの新人類だと思っています。この子も読書が好きで、何時間でも本を読み続けていられるという才能をもっています。私にはできないことなので感心しています。
 親心として「皆と同じようにいてほしい」という気持ちはわからなくもないですが、もう私たちがこれまで常識と思っていた世の中を、若い世代に要求するのは止めにするときではないでしょうか。
 なぜなら、不正が堂々とまかりとおり、不安感や恐怖心に支配されてしまったような世の中になってしまったのですから。今の若い人たちにこの世の中は引き継いで欲しくはないと、私は思います。