「肩の力を抜いて‥‥」とは、緊張をほどいてリラックスするためによく言ったり聞いたりする言葉です。しかし、どうしても肩の力を抜くことができないときや、肩の力を抜くと何の仕事もできなくなってしまう状態というものがあります。何かを指導する立場にある人は、このことを理解しないと善意で発した言葉が、聞く人にとってはとてもプレッシャーになって心を閉ざしてしまうことになるかもしれません。
 私の業界でも、施術者がお客さんに対して「体の力を抜いてください」と発することがあります。体に力が入っていると筋肉が硬くなってしまうのでマッサージしにくいからです。しかしそれは話が反対で、お客さんにしてみれば、体の力を抜いてリラックスすることができないのでマッサージを受けに来たわけです。このことを理解できない対応は適切であると言えません。

 さて、肩の力を抜くことができないということは、肩の力を抜くと体や精神を保つことができない状態にあると考えることができます。
 肩に力が入った状態を整体的に表現しますと、首の筋肉を収縮させて肩甲骨を持ち上げ、肋骨も持ち上げた状態です。これは呼吸で息を吸った時と同じ状態です。自律神経でいえば、交感神経が優位になった状態で、臨戦態勢であり、気持ちが高ぶった状態です。
 ですから常に肩に力が入っている人は、常に息を吸った状態にあると考えることができます。息を吐いたとしても、それは溜め息のようであり、苦しいから吐き出すのであって、息を吐き出す(呼気)ことを利用して副交感神経を働かせるまでには至りません。ですからリラックスすることができないと考えることもできます。

肩に力が入ったとき作動する筋(背面)

 こんな例があります。その方は長い間腰を患っていて、座ることもできず普通に立ち続けることもできません。何とか短い距離を歩くことができる程度です。足裏全体で立てないので、足の指先に力を入れて、足指で踏ん張るようにして立つことしかできません。その状態が長く続いていましたので、足の指先を曲げる筋肉(長母趾屈筋と長趾屈筋)がすっかりこわばってしまいました。その影響で腹筋の働きが悪くなり、体を普通に支えることができない状態になっています。そのため普通の人ならリラックスして自然に簡単にできる作業や動作ができないでいます。
 体はネットワークです。各筋肉、各器官が連携性をもって互いに補い合い機能を果たす仕組みにできています。この方の場合、ゆるんで働けなくなっている腹筋をなんとかしないと仰向けで寝ることすらできません。ですから無意識に首の筋肉を収縮させ、その連動性で無理やり腹筋を収縮させて、ようやく仰向けで寝ることができ、短い時間であれば立つことができ、歩くことができるようになっています。首の筋肉を収縮させていないと、これらのことができない状態なのです。寝ていても肩から力を抜くことができないのですが、それはこういう理由からです。
 また噛みしめの癖も持っていますが、噛みしめることによって何処かの筋肉を働かせ、それで体の機能を維持しています。これらのことは本人の意志とは関係なく、体が自己防衛手段として仕方なく勝手にやっていることと言えます。
 本来、肩に力を入れることも、噛みしめることも体の健康には良くないことです。マイナス面がたくさんあります。しかし、そのマイナス面を天秤にかけて差し引いても、現在の体の状況ではそうした方が体を維持できると体自身が判断して、無意識に行ってしまうのだと思われます。「ふと気づくと肩に力が入って息を吸った状態になっていた。」「ふと気づくと噛みしめていた。」そんな感じです。

 これから先、この方の“肩に力を入れてしまう”状態を改善するための施術に本格的に取り組みますが、立った時、足裏全体で体を支えられるような状態になるよう下半身の筋肉を整えることから始めます。それによって腹筋の働きが改善すれば首や肩の筋肉を収縮させなくても体を支えられるようになるからです。これまでは、すぐにギックリ腰になりやすい状態だった腰部や殿部の筋肉を整えることに集中していましたが、ようやく次の段階に進むことができるようになりました。

 全般的に言えば、吸気は交感神経を刺激し、呼気は副交感神経を刺激しますので、リラックスして日常生活を送るためには呼気を大切にしなければなりません。フーーっと息を吐きながら胸を降ろしていく動作が重要です。首や肩に力を入れる動作は息を吸う動作ですが、吸ってばかりいますとどんどん胸は上に上がってしまいます。するともうそれ以上吸えない状態になりますが、これが過呼吸状態であるとも言えます。
 ご自分の首が太く硬くなっていて、いつも肩に力が入っていると感じている人は過呼吸予備軍です。そのような人は意識的に、“吐いて、吐いて、吐いて”を繰り返し、胸が下がるようにしてみてください。そして、そのようにしてもなかなか肩の力を抜くことができないようであれば、体を整えることを考えてみてください。

 武芸をされている人はわかると思いますが、私たちの体は息を吸ったときにスキができます。息を吸っている瞬間は身動きのとれない無防備な状態になってしまうのです。ギックリ腰は重い物を持った時や無理な体勢で作業をした時ではなく、そのような動作を息を吸いながら、あるいは息を止めてやった時に起こしやすいのかもしれません。“作業は常に息を吐きながら”、そんなことを心がけてみてください。